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会長のゴルフインサイドストーリー

 
タイガーの特殊部隊願望 印刷

2012-4-25

天才はしばしば余人の伺え知れぬ性癖を有しているがタイガーの持つゴルフ以外の執念、妄想もわれわれの理解の外にあるようだ。
彼は周知のごとく女性問題で公私とも大きな痛手で蒙ったが常識的に考えて
女性に執念を燃やすならウェイトレスやストリッパーではなくスキャンダルフリーなプロの美女たちを金銭的に手に入れることは難しくなかったはずである。

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男子も実力を見せる韓国勢プロゴルファー 印刷

 2012-3-15

 

米国、日本のLPGAで圧倒的な強みと層の厚さを持つ韓国の女子プロゴルファー、アメリカでも日本でもトーナメント、最終日、チェナヨン、シンジエを初めとして上位10人のうち半分近くは韓国名が占めることにはいまや誰も驚かない日常現象となっている。
なぜそんなに強いのかという関心の反面、どうして女子だけで男子は?という疑問も呈されてきた。しかしいまや遂に男子の巻き返しが始まったようである。

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日本初のゴルフスクール 印刷

2012-2-21

米国のゴルフダイジェスト社が主催するゴルフスクールの存在を知ったのは確か1980年ごろだと思う。

非常に贅沢なゴルフレッスン システムで高級なゴルフリゾートの9ホールを借り切り5名の熟練のインストラクターチームが十数名の生徒に1週間集中レッスンを行う。

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オンリー イエスターデイ #2 印刷

伊谷寛吉

本年1月26日から例年のごとく米国オーランドにおいて世界ゴルフ見本市であるPGAショウが開催されたが私は昨年まで30回以上の連続参加でありおそらく日米通じて最長連続訪問であろうと思われる。
私がゴルフビジネスに参加したのは1970年半ばオイルショックでそれまで絶好調であったゴルフ業界が急転直下失速した後のことである。
それまで大沢商会の写真部門を担当していたが停滞在庫の山と化したゴルフ部門を救うべく転籍を命じられてそれ以来現在に至るまでゴルフ関連の輸入ビジネスに没頭しておりいつの間にか業界でも最古参となったようである。
そこで約40年間のキャリアを通じて記憶に残るトピックを記述することにした次第である。

1)    ベン ホーガン インタビュー

ベン ホーガンは現役時代からアイスマンとかスフィンクスと呼ばれ
社交的でないことで知られていた。原則的にPRには全く関心のない人物でありしたがってジャーナリストにとっては難物であった。余談となるがツアーのスターとして彼にひき続き出現したパーマーはホーガンが彼に対して非常に冷淡だったと述べているがそれはおそらくパーマーとIMGによる商業的なプロモーシヨンを保守的なホーガンが苦々しく思っていたとゆえんと思われる。
さてある日本のゴルフ雑誌からホーガンとインタービューしたいと依頼されたことがある。ミスターホーガンがわたしに対して割合好意的に接してくれたことに甘え思い切って打診したところ意外にもOKがでた。ただその条件としてプライバシーに関する質問無用、録音無用といわれ勿論承諾した。
若いインタビュワーがベン ホーガンを前にして緊張し質問が出てこないので私が思いつきで質問する仕儀となったが記憶に残るのは彼の現役時代はグリーンが今ほど整備されていなかったからショートパットのプレッシャーが大きく現代のプレイヤーは恵まれているとのコメントは、彼が引退する当時パットイップスであったことをうかがわせた。そして自動車事故によるひざの負傷にもかかわらず彼はメージャーでも優勝を重ねたがやはり引退を決心する要因のひとつであったことなどを淡々と語ってくれた。なおゴルフ上達には近道はなくただ反復練習のみと断言、また当時から始まった重心分散のアイアンデザインにはそれがベン ホーガン社の製品に関してすら明らかに否定的であった。
米国のゴルフ雑誌でもベン ホーガンとのインタビューは困難とされておりこのインタービュー記事はゴルフジャーナリズムにとって世界的スクープであったにかかわらず当雑誌社はこの記事を週刊誌に掲載したのみでありまさに猫に小判となったのは残念に思えた。
事実この記事の掲載後、海外の雑誌社から転載の強い要望があったと聞いている。

2)レザーグリップ

現在私は新素材によるハイテック ゴルフグリップWinnのマーケテイングに携わっているが近年のゴルフグリップの技術革新はヘッドやシャフトの開発と並んで目覚しい。
ただ現在の多くのゴルファーには信じられないことながら1970年の半ばまでは日本ではまだ皮革グリップが圧倒的であり既に米国ではラバーグリップに変わっていたにもかかわらず当時ベンホーガン クラブを輸入していた我々は業者の要望によりメーカーに一本あたり1ドル近く支払って日本向けにはレザーグリップの装着を依頼していたのである。
確か1980年ごろ我々は当時ゴルフ専門店ベスト50を招待しテキサスのベンホーガン社とボストンのフットジョイ社を訪問した。
余談ながら当時日本ではこの2社の製品を扱わなければゴルフ専門店が成り立たないほどの人気があった。
ベン ホーガン社の歓迎パーテイにはミスターホーガンも出席、そしてその場で翌日行われる日本の業者のコンペにホーガン トロフィーが寄贈されることとなった。当時のゴルフ専門店の店主は大半がシングルプレイヤーでありこの貴重なトロフィを獲得すべく全員おおいに奮い立ったのである。
しかし翌朝テキサス フォートワースは豪雨となった。
ベンホーガン社は私に中止してはと示唆したが参加者全員、決行を主張しベン ホーガントロフィー目指してプレイを開始した。しかし依然として雨は降り続き当然皮革グリップはずぶ濡れさすがのシングルプレイヤーたちもお手上げハーフを終わり特別処置で全員ゴルフグリップを装着したセットに切り替えてプレイすることになった。(もっとも業者はそれぞれ自分の使用済みセットを持ち帰り当時40%の物品税をまぬかれて転売することになるのだが。)
この結果。日本でのトップ50の小売店店主たちが初めてラバーグリップのメリットを認めそれ以来我々はレザーグリップを特注することがなくなった。
私はこのホーガン トロフィ競技会が皮革グリップ消滅の転機になったものと信じている。
なお約30年経って振り返ったときこのツアーの招待客、ゴルフ業界トップ50社の専門店のほとんどすべてが姿を消した事実はゴルフ流通経路の激しい変革を示している。